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おおいたトイレンナーレと府内アクアパークを考える

 

アートは「悪」か「救世主」か

今、大分市では「おおいたトイレンナーレ」というアートフェスティバルが行われています。大分中心市街地の店舗のトイレや公衆便所を舞台にしたトイレアートを多数作成し、にぎわいの創出を目指すイベントです。 

名前の由来は、3年に一度開催されるアートフェスティバルを指すイタリア語「トリエンナーレ」とまちなかの空間に欠かせない「トイレ」を組み合わせた造語のようです。

そして、「トイレンナーレ」により、キレイなだけでなく、「美しい」トイレ、「面白い」トイレをまちなかにたくさん作ることで、同時期に新規開業、開館するJR大分駅ビル、大分県立美術館と連動し、大分の街を訪れるお客様に、驚きと、喜びと、感動を提供することが目的であると述べています。 

この運動は、大分市の活性化や若い芸術家の活動の後押し等、意義あることだと考えられます。

 

アートと街並みの融合が図れれば、気持ちの良い街並み空間が創出されるでしょう。 

私は20年前に「府内アクアパーク」の設計をしました。

そして、「おおいたトイレンナーレ」が府内アクアパークを舞台に開始されたことを機会に、改めてアートが街並みに対して何が出来るのかを考えることにしました。 

 

 

 「アートとデザインの境界」 

 

私の定義では、アート(芸術)は製作者の主観によるもので、第3者を必要としません。

そして、デザインは第3者が受け入れるかどうかが重要なファクターになります。 

つまり、アートは創りたい人が勝手に創っても他人に迷惑さえかけなければ誰も文句を言いません。

 

そして、そのアートを受け入れる人だけに認められれば良いのです。「絵画」や「彫刻」「現代アート」等、簡単に言えば美術館で見られるものがアートの代表選手です。デザインは、第3者に受け入れられて初めて実現する、より商業価値があるもので、建築や工業製品等はこちらの分野に入ります。誤解を恐れずに言えば、デザインには機能が付随し、アートは機能無しで成立し得るということが言えます。 

 

ただし、どちらも作者の「独自性」や「主張」「社会に対するメッセージ」等が作品の中に込められていなければ、一過性の物として忘れ去られていくでしょう。

古典から近代へと移りゆく時代、ロマネスクからルネッサンスという様式主義から抜け出し「機能主義」がもてはやされる時期を迎えます。建築の世界では「モダニズム建築」と言われ、英国の「アーツ・アンド・クラフツ運動」が起源とされています。

 

 フランスでは「アール・ヌーボー」の建築が過去の装飾を否定し、ウィーン分離派のオットー・ワーグナーは「芸術は必要にのみ従う」と、機能性を重視した建築理念を表現しました。

そして、芸術学校「バウハウス」の開設が、このモダニズム建築を大きく推進させることのなります。 

モダニズム建築では、「装飾は悪である」と言われ、機能こそ美の極限であると言われました。 

 

これを「機能美」と言い、例えばスピードを出す事だけを目的にデザインされたレーシングカーや戦うことを目的に作られたジェット戦闘機等は機能美の極致と言えるでしょう。

忌まわしい戦争の影を背負いながらも、人間がジェット戦闘機に憧れるのは、多分この機能美の美しさに引かれるからではないでしょうか。

 

 

近代建築の巨匠、フランスのル・コルビュジエは「住宅は住むための機械である」と宣言し、シカゴの建築家ルイス・サリバンは「形態は機能に従う」と言う有名な言葉を残しています。

建築は一直線で機能主義に突き進んで行きます。

日本では大阪万博の頃までは、この機能主義全盛の時代で、「シンプル イズ ベスト」と、装飾を一切排除した建築が創られていきました。 

 

しかし、この頃より機能主義一辺倒の考え方に疑問を唱える声が聞こえ出し、建築の世界では「ポストモダン」運動が起こりました。黒川紀章や磯崎新が有名です。 

このような歴史の中、機能主義から抜け出そうともがき続けた「建築」は観念的な機能を捨て去ることは出来ても、建築としての宿命である「機能」は背負い続けて行かなければなりませんでした。 

 

 

大分市中心部にある公園「府内アクアパーク」は20年程前に、大分市中心部の公園再開発事業で再生した3つの公園の中の一つです。

当初単なる小学校のグラウンドの様な公園は、建築設計コンペにより「水」をテーマにした、地下に駐輪場を備えた都会的な公園へと生まれ変わりました。

 

 

 

もちろん、公共建築にありがちな賛否両論もありましたが、20年の時を経て人々の憩いの場として受け入れられてきました。

この公園の設計コンセプトは、ホーキング博士の宇宙論を基に、縦軸に流れる水流を「時間の流れ」それを斜めに横切る列柱とステンレスのオブジェは、赤く光る「光の経路」を表します。

 

 

そして、光の経路の先端に生命の誕生を表す、丸い公衆便所「シャボン玉トイレ」が置かれています。

この宇宙の構成は、大分市の未来への発展を表していました。

公園の設計段階では、ベンチとベンチの離隔距離等も、人間の縄張り意識を研究した書物等で分析し、「相手の視線が気にならない、しかし孤独感も感じない」というぎりぎりの距離で設置されています。 

 

このように、建築は(公園も含め)設計者が全身全霊を傾けて創りだし、産みの苦しみを味わいながら誕生させている、ということは、なかなか一般の人には理解されていないのが現状でしょう。 

おおいたトイレンナーレでは、この公園にある「シャボン玉トイレ」をアートに変えてしまおうという試みがなされました。丸い形をしたトイレを「デコレーションケーキ」にしてしまおう、という作者の意図です。 

 

ここで難しいのは「機能」を抱えてデザインされた「公衆便所」を「機能が無い」アートで、どのように変身させるか、ということです。 

アートという、製作者の個人的なものを、社会に持ち込むことになるわけですが、これを市民が受け入れるのかどうかということが、勝負です。

街並みに突如出現した「デコレーションケーキ」に対して、市民は様々な反応を見せることでしょう。

 

「わー、可愛い」「夢の世界だ」「話題になって良いのでは」 「街並み破壊だ」「ここは遊園地じゃない」「落着きが無い」

これから、このデザインに関して大いに意見が盛り上がることを期待します。 

落ち着いた街並みの中に突如として出現した「ケーキアート」。これは、作者と実行委員会が意図的に仕掛けた、市民への挑戦かもしれません。 

 

「皆で、街並みについて議論しましょう」「皆で、芸術の有り方について話しましょう」 

と聞こえてきます。

 

今、駅前再開発や中央通り歩道の拡幅工事等、大きく変貌しつつある大分市、この「おおいたトイレンナーレ」を機会に、自由に思ったことを発言して、他に例をみない「魅力ある大分」を創っていく機会にしませんか。 

 

府内アクアパークのトイレが「デコレーションケーキ」に変身させられたのを見たとき、正直私は怒りに震えました。それは、私の作品を愚弄されたと感じたからです。 

そして、その装飾は「アートの暴力」だと思いました。しかし、冷静になり、活動している方々の熱意を聞いたとき、そうでは無いということが分かりました。 

 

このトイレが、いつの日か、また元の「デザイン」に戻れることを願いつつ、筆を置きたいと思います。

 

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