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October 26, 2017

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山口隆史ノート

October 25, 2017

 これは、2013年12月7日、74歳で旅立った山口隆史の記録です

 

 山口隆史は、東京芸術大学大学院を卒業。吉村順三研究室の一員でした。

 卒業後、三菱地所設計部に就職し、池袋サンシャイン60等の超高層ビルの設計を行っていましたが、ある縁で大分市に設計事務所を出し、大分大学の客員教授をしながら、設計活動を行っていました。

 

・・・・2013年8月の終わり頃、

山口さんがふらりと私の事務所を訪れ

「夏バテで食欲が無いんだ、胃潰瘍かもしれない」

と言う姿は、すっかり痩せていました。

二人で行った水天の寿司は、まあまあ食べていたので、「それだけ食えりゃ大丈夫」と笑って話しました。

 

「山口さん、運動不足かもしれないから、一緒にスポーツジムに行きましょう」と誘い、

スポーツジムに連れて行きましたが、体力の衰えは隠せません。

9月になり、かかりつけの内科で診察を受けた所、胃癌のようだから大きい病院で診てもらうように言われました。

どこに行くか相談を受けましたが、「癌専門病棟がある県立病院が良いのでは」と話したところ、他の人の意見も同じで、県病に行くことになりました。

 

そして県病での診察結果は胃癌のステージ4(末期癌)で肝臓にも転移しており、手術は無理だとのことでした。

 

独り身の山口さんは、気丈に自分の終活を始めました。

終活チームはF氏を筆頭に私とM氏、SさんとY君に山口さんを含めた6人です。

皆、山口さんが好きで勝手に集まった 勝手連 です。

 

抗癌剤や放射線を使った延命治療はしない。

入院せずに、最後まで社会人として仕事を続ける。

葬儀は行わない。

納骨堂を確保。

事務所で倒れた場合の連絡体制や、受け入れ病院の確保。

 

着々と終活設計が出来上がって行きます。

 

すき焼きをほうばりながら、

何だか、人が死ぬ話では無いような、笑顔を交えたディスカッションに参加していると、

何で皆さん、こんなに強いんだろう

弱虫で泣き虫な私は、涙ぐみながら感心してしまいます。

 

余命なんてありません。

1か月生きられたら、次の1か月。

 

山口さんは、すっかりやせ細り、別人のようです。

日に日に弱っていくのが目に見えます。

しかし、皆 笑顔を絶やしません。

山口さんに涙は見せられません。叱られてしまいます。

 

そして、11月のある日

1週間の体験入院をすることになりました。

この頃は弱っていても、まだ一人で歩けるような元気はありました。

皆、1週間後には退院してくることを信じていました。

 

入院したホスピス ゆふみ病院 は、終末を迎える患者が静かに死んでいけることを目的とした施設です。

 

病院は外出自由なので、皆で「おさるの湯」に出かけ、温泉を堪能していました。

しかし、この頃から、食べ物はほとんど喉を通らなくなり、立って歩くこともきつくなったようです。

それでも、週1回の大分大学の講義には行っていました。

 

ある日、山口さんはぽつりと

「何だか、僕はもうここから出れない気がしてきた」

と漏らしました。

 

そして心残りは、別府野口病院の旧館の保存問題。

11月27日、スタッフ一同は山口さんを筆頭に野口病院へ乗り込みます。

最後の力を振り絞って「旧館は僕と先代院長が100年持たせると約束したんだ」と

熱意は通じましたが、これでエネルギーを使い果たした山口さんは、以後車いすに頼ることとなりました。

 

もう一つの心残りは、北九州で進行中の現場監理。

こちらは、M氏が自分の仕事を休んでも、山口さんの代わりに現場に通います。

そして、山口さんの書いた図面通りになっていない部分は、業者がやり直さないときは、自分が責任を持ってやり直す という意気込みです。

 

12月3日 火曜日。

私は東京の現場監理のため上京中でした。

F氏より電話が入り「もう山口さんが痛みにこらえ切れないようだから、モルヒネを打つ。話せるのは今日が最後だから、すぐ病院へ来い」とのこと。

 

今日は無理だと答え、次の日朝の飛行機で帰県。

ゆふみ病院へ向かいます。

 

すでに山口さんは昏睡状態。

Sさんは会社の長期休暇を取り(上司から文句を言われたようで、いざとなれば辞めるから良いと)24時間泊まり込みで看護をしているのには、頭が下がります。

 

そして12月7日。

東京から来た、元奥さんと娘さんを待っていたかのように、

人生を終えました。

 

遺体は本人の希望で、槇文彦設計の、中津市 風の丘斎場で荼毘にふされました。

人は皆死んでいきます。

私も、あなたも

ただ一人の例外も無く。

 

その時

皆の愛に囲まれ

安らかに、人生の最期を迎えられたら

最高に

 

し あ わ せ です・・・・・・・・・・・

 

2014年1月26日 日曜日 山口隆史氏を偲ぶ会が催されました。

その会場で、山口さんが癌の宣告を受けてからの、日記が掲示されました。

死にゆく者の心、その強さ・・・・

当日会場に掲げられたパネルの内容を転記しました。

 

・みなさまへ

末期癌の宣告をうけてからの山口隆史氏の行動は素早かった 仕事の整理から身辺整理 また 終末病院の選定 葬儀の段取り 納骨堂の契約など綿密で多岐にわたる この間僅か2ケ月 一人でよくやったと思う 死後の偲ぶ会にお集まりいただく方に何か”おことば”をと本人へ催促するも「考えています 書きます・・・・・・」といいながら最後まで語られることはなかった。

枕もとには 胃ガンの診断をうけてから亡くなる10日前までの”山口ノート”が残された

以下 その一部を抜粋することにより 死を迎える直前の おもい を読みとっていただければ深甚である

尚 本会のタイトル 森羅万象は ゆふみ病院へ入所する際の自らの心境を表現したものを転用した

 

・2014年1月

山口隆史 介護同盟

森羅万象実行委員会

 

・2013年 9月17日 岡本胃腸内科による検査結果で胃癌と診断される

・今後の経済事情の確認・身辺整理を進めなくてはならない

・僕の胃袋にガンが住みついた 住人として落ち着く場所がみつかったのか 今夜は昨日迄と違って あまり痛みを感じなかった「仲良くしろ」という事か

 

・2013年  9月18日 県病へ紹介状をいただく

○衛藤さんとスポーツクラブ見学

 

・2013年  9月23日   タバコ1本で5分30秒の寿命が縮むという情報を得る 

「断煙」→数日後 挫折

 

・2013年  9月25日 県病へ X線撮影

・今のまま 痛み止めだけをやりながら自然に死を迎える

○大学やれる

○添絵続けられる

○県病定期的に進行状況を見てもらう

○最後にしても北九州鈴木邸の推移をみきれる

・少しでも楽しく残る限られた時間を有効にすごすに「力点」

 

・福島さんどうも有り難う あなたの話で自らの本来の決断ができます

○入院加療は(治療を始める)一旦始めたら 即延命を希望するということでその後 起こるであろうネガティブな状況に対応するのはイヤ!

○元々この夏 胃かいようの様子から検査を受けたに過ぎない もし受診していなければステージ4は判らないままだったろう むしろ運がまだあったと考えよう 今は時々の胃の痛みをおさえるのさえ出来れば 極めて健康に日々暮せている この状態を持続しながら 痛みが出ればモルヒネ他の痛みどめをほどこしながら 最後   を迎えたい 自分自身 判断がつかなくなったらおしまいだ

余生はどの程度か 半年でもよいし3年でもよい 少しは整理がつくだろう Drの見立ての最短を聞く必要がある

科学治療をしない

○さて いよいよ自らの余命についてきちんと考える時が来た 親(父・母共)95歳前後まで生きてくれたから本当は余り科学的でもないのに まだまだ長生きするものと漠然と考えていて 70代半ばに至るも余命の事など口にはするものの真剣に考えられなかった

そして胃がん(しかも進行性)を宣告された

県病 坂東Drの見立てがどうなるかはとも角 自らの最後をどうするか決断しなければならない・・・・・・・

○入院加療を初めてしまうと予測不可能な事態が次々に生ずることはむしろ当たり前で その度に唯一の家族である繭さんにむづかしい判断をさせてしまう事だけではなく 今の当方の廻りにいてくれる多くの人に心ならずも迷惑をかけてしまう

有り難いが当方の本意ではない 今やっている事は廻りが許してくれる限りやりつくしたい

○限られた(ボーッとして読めなかった余命がはっきりするのは幸せな事だと考える)時間で 可能な限り身辺を整理し 自らの意思表示で死にたい

 

・2013年10月  3日 吉川医院へ初訪問

○佐藤先生に全幅の信頼をおいて大丈夫か確認できた 安心!

○大分大学 へ

 

・2013年10月  4日 トコヤ へ

○8月からちょうど10キロ減

 

・2013年10月10日 余命1か月と思い毎日を過ごせ と考えるように言われる

・2013年10月12日 中津・風の丘斎場へ打ち合わせ

・2013年10月15日 大分ゆふみ病院へ打ち合わせ

・2013年10月17日 福島邸・合同顔合わせの鍋会

・2013年10月27日 「おづる」~長湯温泉へ

 

・・・・・この日を境にメモは途絶える・・・・・・・ 

 

以下は介護者の記録

・2013年11月  5日 府内五番街の方々と会う

・2013年11月  6日 湯布院・亀の井別荘へ

・2013年11月11日~13日 長崎・幼少期に過ごした町へ旅行 (急激に食欲が落ちる)

・2013年11月14日 ゆふみ病院へ体験入院 

夕方仲間と食事会 (このときは1週間で退院する予定)

・2013年11月24日 所属していた野球チームYappaに観戦と挨拶へ

・2013年11月27日 野口病院へ 

自ら改修設計をした野口病院旧館の保存を訴える 野口病院サイドでも保存を考えていたようで、安心するが、この時点で歩くのがやっとの状態。

・2013年11月29日 夕方公演会へ

(この間、病院を訪れる人を誘っては、おさるの湯に行くことが楽しみになっていた)

・2013年12月  2日 外出禁止令出る 

(北九州の鈴木邸の現場に行く と言い張っていた)

・2013年12月  3日 最終治療方針の変更痛みが我慢できなくなり、16時40分 睡眠導入剤投与 昏睡が始まる

・2013年12月  7日 19時56分永眠

 

偲ぶ会の会場には、山口隆史さんのアトリエが再現され線香代わりの缶ピースの煙が漂っていました。

 

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