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長谷雄聖ノート


永い宇宙の時間の中で、人の一生はほんの一瞬の光の瞬き程度でしかありません。

65歳の高齢者に仲間入りをして、初めて自分の人生の短さを実感します。

40代までは、人生の終焉がいつか訪れることを、頭では理解していても

その短さを、本当に理解することはできません。

今日、また一人の建築家を見送りました。

長谷雄 聖 68歳

仲の良い友人でした。

余りにも早く人生を歩んだ建築家でした。

8月末に「ゆうちゃん、俺は最近腰が痛くて30分も座っていられないから、図面も描けないよ」と電話がかかりました。

整骨院に行っても、全然良くなりません。

近くの病院に行った彼は、精密検査を受けるように勧められます。

精密検査を受けに行った帰り、彼からの電話の声は沈んででいました。

「長谷雄さん、結果はどうやった?」

「うん、あまり良くなかった。肺癌のステージ4で手術は出来ないらしい」

癌は骨にも転移していました。

3年前に逝った 山口隆史 を思い出します。

東京芸大出身の山口隆史は師匠吉村順三譲りの、木の温もりとコンクリートの素材感

を活かしたやさしい建築を創りました。

千葉工大出身の長谷雄 聖は日本刀のような凛とした切れ味の良い建築を創りました。

山口隆史は大分大学で教鞭をとり、多くの教え子を育てました。

長谷雄 聖は日本文理大学で教鞭をとり、やはり多くの教え子を育てました。

二人とも、暑い夏が終わる8月末に私のところへ体調の悪さを伝えてきました。

そして二人とも抗がん剤や放射線治療を拒否しました。

二人が違っていたのは

山口隆史が、死を受け入れ、自然のの赴くままに人生の終活を終えたのに対し、

長谷雄 聖は生きる意欲を捨てていませんでした。

「俺は薬に頼らず、自分の免疫力で癌を克服する」

と言っていました。

二人とも、あっけなく

本当に、あっというまに消えてしまいました。

長谷雄 聖なんか、癌と分かって1か月です。

なんで、そんなに急ぐ必要があったのでしょう?

二人とも立派な建築家でした

だから人は「大分の建築界で重要な人材を失った」と言います。

だけど、そんなことはどうでも良いのです。

ただ、心底 心を分かち合える 二人の友人を失った

だけなのです。

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