機上の1級建築士試験
講習会の講師を終え、暑い沖縄を後に機上の人となった私。
満席の福岡行の便は、手荷物が収納しきれず、客室乗務員が右往左往の奮闘をしています。
明日沖縄を襲うであろう台風12号を避けて、今日のうちに移動しておこうと、多くの人が今日の夕方の便に乗り込んできます。
座席に落ち着いた私は、イヤホンから流れるDream Come Trueの「未来予想図」を聞きながら目をつぶります。
吉田美和の声が体に染みわたります。
「すみません」
目をあけると、髪の長い女の子が私の横に立っていました。隣の席に座るようです。化粧っ気も無く、作業着風のズボンを履いている可愛い女の子です・・・・。
飛行機は収まりきれない手荷物を何とか詰め込み、福岡空港へ向けて飛び立ちました。
飛行機が上空に行くと、隣に座った女の子は早速テーブルを出し、何やら勉強を始めました。
横からちらっと覗くと、一級建築士の試験問題をやっています。
「そうか、あさっての日曜日は一級建築士の学科試験の日だったな」とふと思い出しました。
「一級建築士の試験を受けるんですか?」声をかけると。
「はい、今日は福岡の事務所から沖縄に、日帰りで現場監理に行って今帰るところです。勉強する暇が無くて」と微笑みます。
足元のトートバッグからは作業着の上着がはみ出ていました。
「あさってが試験ですね。がんばってください」と言って、それ以上話すのは億劫だなと思った私は再びイヤホンを耳にしました。
しかし、隣の試験問題が目に入ると、ついつい自分でも解いてみています。
又吉の「火花」は来る途中で読んでしまったし、他に持ち合わせの本もなかったので目をつぶり、過去の自分へ思いを馳せます。
私が一級建築士の試験に受かったのは、24歳のとき。もう遥か40年前のことです。
一級建築士試験は大学卒業後2年間の実務経験で受験資格ができます。工業高校卒の場合は実務経験3年で2級建築士受験資格、2級建築士を取ってから4年間の実務経験で1級建築士の受験資格ですから、かれこれ8年ほどかかります。
当時の合格率は20%ほどで、今と比べると随分受かりやすい試験でした。
私が勤めていた東京の設計事務所では、同期が10人程でしたが、社会人2年目で最初の試験に合格したのは、同期で唯一人の女性でした。私を含めて他の男性陣は全滅です。
しかも、私は学科の試験で落ちて、製図試験に進む前で撃沈です。
23歳の私は、武蔵野美術大学出身の女性1級建築士が眩しく感じました。
その年、私は一大決意をしました。
「来年は必ず受かろう」と・・・・・
基本的に勉強嫌いの私は、中学、高校、大学と受験勉強を真剣にやった記憶はありません。
多分、私の人生で一番勉強したのは、1977年から78年の1年間だったような気がします。当時は日建学院のような受験学校は無く、すべて独学です。
毎日、毎日、過去問題集をひも解いていきます。
次の年、無事学科試験と製図試験に合格。
12月の年末も押し迫った日、「合格証」というクリスマスプレゼントを受け取った私は、6帖一間のアパートで、独りで合格祝いをしていました。
あれから40年。
私の周りでは多くの若者たちが一級建築士試験に挑戦し、合格して行きました。
日建学院の講師を頼まれたこともありましたが辞退し、スタッフ達を集めてにわか講師で無料試験塾を開いたこともあります。
「一級建築士は足の裏に付いた米粒」と良く言われます。
取らなければ気になるが、取っても食えない!
私は、この例えが真をついているので、お気に入りです。
資格社会の日本では、一級建築士というだけで、人の見る目が変わります。
仕事が出来る出来ないは関係なく。
しかし、一級建築士を取ることで、本人の自覚が変わるのも事実です。
飛行機で隣に座った彼女。
袖すりあうも他生の縁。
無事、試験に合格すると良いですね。